Radium Software Development - Having Friends Who Disagree
帰宅後書く。かも。
(追記)
ただいま。
『エッセイストの Paul Graham 氏は,事業を興すならば一人でやるよりも複数人の方が良いと勧める [PaulGraham] 。なぜ一人ではいけないのだろう? 曰く,アインシュタインのような天才でさえ,自分のアイデアを投げかける対象を必要としていた。アイデアとは,それを人に説明する過程において洗練されるものである。また,それには適度な「手ごたえ」が必要とされる。彫刻家が木を彫るには,木に適度な「手ごたえ」が無くてはいけない。それに似ていると言う。
では,その「アイデアを投げかける対象」として相応しい人物とは,どのような人だろう。例えば ― 自分の信念を持っている人,自分の考えを述べる能力を持っている人,相手の話に耳を傾ける気構えがある人,自我で信念を束縛することの無い人,然るべきときには信念を変える余地を持っている人,等々……。
自分と同じ考えを持つ人とだけ働くのは楽なことかもしれない。自分と同じ信念を持つ人とだけ話し合うことは楽しいかもしれない。あるいは,人の力を借りずに自分の頭の中だけで何かを片付けることができれば,それが最も手っ取り早いと感じるかもしれない。しかし,そういった一方的な視点は,世界の見え方を歪ませてしまう。本来見えるはずの過ちをも見えなくしてしまう。その歪みを正すには,常に自分と異なる視点を受け入れるよう努力しなければならない。
もし,常に自分の意見に反対する人が周囲にいるならば,その存在を疎んではいけない。もしその人が,単なる好き嫌いや自我やイデオロギーからではなく,筋の通った己の考えから反対しているのならば,その存在を大切にした方がいい。自分の考えは,その人に説明をする過程で洗練されていく。そしてもし,最終的に両者が納得のいく結論に辿り着くことができたならば,それはこの上なく素晴らしいものになっているに違いない』
反論や意見、大切。
本気で反論をぶつけられてイイ気分なんて人はいないだろうけど、でも大切にしないとね。
ただし、ここでも書かれてる通り誰でもいいって訳じゃないよね。
真面目、真剣、思いやり、信念、努力、こういった要素を持ってる人の言葉であれば、アイディアの投げかけに限らず、考え方が違ってて耳が痛かったとしても意見される価値はある。
逆にこれらと正反対の要素を持ってたり、どんなに立派なことを言ってても口ばっかりで行動が伴わなかったり、そんな人から何を言われても単に耳障りなだけだったりする。
あと、やっぱり同じで手応え。
かなり若い頃から、というより自分の性分に組み込まれてる重要キーワード。
コミュニケーションにしても何にしても、手応えを感じない環境には長くとどまれない。
簡単なところでは挨拶とかメールとか、こちらからのアクションに対して返事をしない(忙しくてできないのを除く)とかそーいうのも含めて、コミュニケーションの手応えを感じない人とは一定以上の距離を置くことにしてる。
まぁ「意見される価値のある人」が手応えなしってケースは無いだろうし、そもそも自分は人のこと言えるのか?とか不安になったりもするが^^;
人生の中で「手応えのある意見を言ってくれる」大切な人をどれだけ見つけられて且つ維持していけるか。
これは大事。しかも難しい。
特に、年下から意見をもらうってのが歳をとるほどに難しくなる。
これは大学で1浪3留してるからバイトやサークルで既にプチ経験できてるし、「自分が会社の中でこのまま歳をとっていったら また同じ状況だよな」とか、いまだによく考える。
年下の人の意見って、上に書いたような事とはまた違った意味で価値があったりするんだよね。
忘れかけてた何かを思い出させてもらったり、育った環境も違うし頭の回転も速いから「おー、そんな考え方があったか」みたいなヒントをもらえたり。
半分以上、もしかすると殆どは「青いな。」レベルだったりするんだけど、だからといって何でも馬鹿にしたり頭ごなしに否定したり説得に入ったりしてると、どんどん距離が離れていく。
自分もきっと先輩に「甘いな」なんて思われてるだろうし、そんな中で諦めずに自分の思いというのをぶつけてきた訳だし。
えーと。。。
宴たけなわではございますが(謎w)、
3時間考えていつものごとく文章まとまらず。
ログタイトルと関係ない話題になっちゃったし。。。w
文章力の無さが、なかなかに自分を落ち込ませてくれるw
しかももう午前3時なので寝ます。
(超逃げモード^^;)